ハワイのこと

ハワイのこと

ハワイにとても思い入れがあることでつけたブログ名でもあるので私のハワイへの想いを書いていきたいと思う。

Kaka’ako 2018/11

昔、祖母から(祖母の)いとこが住んでいるから、あなたもハワイに行ったら(住んだら?)と薦められた事があった。13歳くらいの時だったと思う。私と同じくらいの年齢の子供たちもいるし、と。

中学に入り、精神的に不安定な時期で、あまりよくない遊びや生活をしていたのでたぶん見かねて声をかけてくれたのだと思う。

だけど、その頃ようやく友人ができたりして毎日が楽しくなってきていた私は、「いや」、と断った。

せっかく友人ができた都会を離れるなんて考えられなかった・・・

祖母はフラダンスをやっていて、毎年ハワイに発表会もあり渡ハしていた。私が住んでいたらいいな、と思っていただろうし、当時家も買いたいと話していた事があった。週に9回?お花やカラオケ教室などさまざまな習い事に通っていた程のアクティブな人だった。他の家族に言うと怒られちゃうよ、と言いながらハワイの家を買いたいけどどう?なども相談された。(結局だいぶ経ってから誰かに言われて購入したのがタイムシェア物件だったみたいで私は管理費を払い続けているのだけど、ちゃんとした物件を買っておけば今頃何倍になっていたかな・・・)

結局その都会の生活に飽きてきた中学卒業後の進路もあやふやな時に、「やっぱりハワイに行きたい」と申し出てみた。

祖母はいとこに聞いてくれたのだけど、ちょうど向こうの子供たちも年頃で(アメリカなので)薬物などに誘惑してくる同級生や先輩もいるので自分の子供たちを守るので精一杯で、心配で預かれないと断られたそう。いつでも行けるなんて甘くなくて、調子良すぎましたね・・・

中学に入る前だったり入ったばかりだったら絶対行っていたのに、って今更ながら思う・・・

結局、ハワイに行くことは叶わず、語学学校に行かせてもらった。語学学校に行きながらいつかハワイに行こうって思って六本木の有名な高級クラブでバイトしてお金を貯めていた。

その後、私がハワイに初めて行ったのは19歳の頃。夜遊びや夜バイトをやめて真面目に生きようと18歳で就職し真っ当な生活を送っていました。

当時勤めていた会社では、毎年海外旅行があって、その年はハワイはなかったのだけど、以前会社にいた方がその社員旅行をきっかけにハワイに目覚め退職し移住して起業しているので、遊びに行こう!と上司に誘われて行ったのがきっかけ。(今ではとても有名なお店になっています)

せっかくのハワイなんだけど、19歳の私には刺激的なことばかりだったのを思い出す。。。

外国でクラブのような場所に行くのもドキドキなのに、トイレに行ったらまるで家?のようにたくさんの化粧品や香水があって、すごい化粧をした人が派手派手な格好で話しかけてきて手を拭いたりお世話をしてくれた。。。

席に戻ったらびっくりしたでしょ、って笑われて・・・ほんと正直初のハワイはそれしか覚えていない。アメリカやべえ、って思いました。笑

その2年後、21歳で会社を一旦退職しオーストラリアへのワーキングホリデーに行ったのだけど、一緒に住んでいたシェアメイトとドライブしながら、この山を超えたらワイキキだといいね、なんて、長閑なオーストラリアの田舎に時々不満を話したりしてハワイに思いを寄せるようになっていました。

そして私の滞在したケアンズは周りにダイビングインストラクターが多かったのだけど、ダイビングなんて全然知らなかったし興味もなかったのにケアンズにいながらダイビングしないやつはいないよ、って言われて、渋々ライセンスを取得した。笑

ところが、どっぷりとダイビングの勉強や厳しさにはまってしまい、ダイビングのインストラクターになって南国暮らしもいいじゃん!ってすぐに思った。楽しいって事より、新しい世界を発見した事が衝撃的で水中で呼吸する事に一番感動した。それまで目指すものも特になく、目標を見つけたことも嬉しかった。

帰国し、会社に復職するも、マリンダイビングやダイビングワールドを読み漁り、できるだけ安くインストラクターになるには、どうしたらいいか調べまくり、そこに出ていた広告の→宮古島でスナックのお姉ちゃんをやりながらタダでダイビングできるという美味しい話に飛びついた。オーストラリアで出会ったダイバーから、「オーストラリアを出たら沖縄に行くんだ!沖縄の海は世界で3本の指に入る!」と聞いたのも大きく影響した。最初は民宿で働きながら、とかダイビングショップの見習い、とかも思ったのだけど、すでに水商売経験もあったし大した事ないって思って軽い気持ちで、22歳の時再び退職し、2ヶ月移住の予定で宮古島へ・・・

2ヶ月予定が延長に延長を重ね、宮古島移住してから2年近くたって、24歳でインストラクターの資格条件に到達でき、インストラクターコースのためにハワイに飛び立った。

そこでは、20名程の同期と一緒に、勉強漬けの日々を過ごした。

学科も大変で毎日深夜まで勉強し、夜中2時開店のエッグスンシングスにパンケーキ食べに行ったりした。まだ古いおばちゃんたちがやっていた頃の話。

体力もないので、体育会系の資格を取るのは本当に苦労したけど、周囲のスタッフや仲間の支えで資格を取る事ができた。

ちょっと脱線してしまったので、ハワイの話に戻らないと・・・

宮古島に戻り、しばらくはダイビングの仕事や毎日の生活が大変だし、お金もなかったのでハワイに行くことはできなかったけど、少し余裕ができてからは、できるだけ毎年、1ヶ月くらいは滞在するようにしていた。夏は休みなく働き、冬に1ヶ月ハワイ、という感じ。

でもいつも私には後悔がつきまとう。

あの時、祖母に言われるままハワイに行けばよかったと・・・

祖母が他界してからは本当に強く思うようになって、いつかはハワイにって思いながら日々を過ごしていて、AlohaやMahalo、ハワイ語やハワイアン雑貨を身近におくことで当時叶えることが出来なかった悔しい思いを誤魔化しているのかもしれない。

2022.9.25(執筆続く)

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